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万年筆 [★...夢]

ここ、2週間くらい前に見た夢です。

最近はあまり夢の内容を覚えてないのですが、これはめずらしく覚えていました。

その日の夜は、めずらしく自分は癒されていないことはないのかもしれないけど、もし癒す部分があれば癒したいという気持ちになり、眠る前に瞑想の時の呼吸に近い呼吸にしたら、ほんの数回で眠ってしまいました。

夢の中では、乗馬倶楽部に行くのですが、その乗馬倶楽部は夢の中では何度も出てくるのですが、実際に現実の世界にはない倶楽部です。

その倶楽部の休み時間になっていて、大きなテーブルがあって(このテーブルも夢の中に何度も出てきます。)何か書こうとしていて、私は万年筆を探していました。

万年筆がなぜかあるのですが、キャップはみつかりません。

その万年筆というのは、現実の世界で私が中学生になる頃に母親が買ってくれたもので、赤い地に金がきらきらしていました。

当時はなかなか手に馴染まなくて、イライラしたり、このままずっと慣れないまま一生を過ぎるのかもと不安になりました。

友人がしていたように、制服の胸ポケットに生徒手帳と一緒にいつも持っていました。

だんだん成長とともに、いつも使うようになり、その万年筆で漢字の練習をしたり、授業のノートをとったり、スケッチを描いたり、普段使いを使えるようになりました。

デザインの授業の時に、トレッシングペーパーがかっこいいって思って好きな形に切って中心をミシンで縫って自分で手帳を作ったことも思い出しました。

若い時のほんの数年分の思い出でしたが、その夢の中で、私はいろいろと思い出しました。

その万年筆を持って、当時の夢を一気に思い出し、未来への希望とか情熱みたいのも再体験していたんだと思います。

万年筆を握りながら、私はまたたくさんたくさん書く!!って誓っていました。

...たぶん、私の挫折はいたる所にあって、書くということをしなくなっていたんだと思います。

その書く(描く)ということをもう一度したいって思っていました。

まるで雷にうたれたみたいに、内側からものすごいパワーみたいのが出て来たんです。

夢の中では、万年筆のキャップがみつからなかったのですが、それはたぶん書き続けるっていう意味だと解釈しました。

目が覚めて、私は万年筆を探したら、ちゃんとありました。

でも、しまい込まないで、いつも持っていようって思いました。

ちょっとしたメモも、その万年筆を使おうと思いました。

それと、小学生の時の担任の先生がわら半紙を切って小さなノートを作って、クラスの全員に配った事を思い出しました。

そのノートの表紙には「新しい目」と書かれていて、普段の生活で面白い事や、なんでも楽しかったことを書き込むノートだよって言いました。

その当時の影響かもしれないけれど、私は大きくなっても、そのノートを自分で作って書いていたんだなって思いました。

そのノートを、また自分で作ってみようって思いました。

ふと、何か大切なことが頭に浮かんだり、何か発見したら、すぐにノートに書き込もうって思ったんです。

すると、学生の時に自分でトレッシングペーパーを切って作ったノートに近いのを発見しました。

まだ、買い物をちょっとメモるぐらいしか使っていないけれど、それだけでも、なんとなく心が豊かになっています。

自分のために、ささやかに準備したのだけれど、なんとなく幸せを感じています。



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寺院 [★...夢]

これは、一ヶ月程前に見た夢です。

怖い物が苦手な方は閲覧注意です。

夢の中で一瞬に何かが起きました。

その時は覚えていたのですが、後から思い出そうとするとオブラートに包まれたようにぼんやりしています。

それで、夢の中では寺院の中に入って行きますが、皆さん足元にこまかな肉片があるのです。

私は、さっき起きた後だからって納得しています。

まるで、肉体という名の衣服を脱いだように見えます。

さき程起きたことが、深刻なことではなかったかのように、みなさん明るいのです。

まるで、学生時代の体育祭や文化祭のあとのような爽やかさまで感じられます。

それで、私は、なぁ〜んだ過ぎてしまえばたいしたことないのね。。って思っています。

その夢を見た数日後、やはり私の母が以前飼っていた猫を抱っこして、ひたすら逃げた夢を見たそうです。

そして寺院があったので、駆け込んだと言っています。

私の見た夢の寺院は国籍がどこなのか不明でした。

母の見た夢もそうみたいです。

母が抱っこした猫も、亡くなってから数年たっています。


最近、数年前に書き続けていた夢日記をぱらぱら見ていていたら、当時は意味不明でしたが、まるで今の現状とぴったりのことが書いてあって驚いてしまいました。

夢って本当に不思議ですね。



肩が重い [★...霊]

私はあまり肩こりや肩が重いという症状にはならいのですが...。

今月に入り、仲の良かったいとこのお母さん、すなわち叔母を亡くしました。

水曜日の午前中に会いに行った時には、まだ元気で手も握ってくれて、あと一ヶ月くらい大丈夫だと思いました。

でも、その日の夕方、いとこから電話で訃報を聞きました。

お葬式も無事に終わり、「おばさんがいないから、もう遊びに行けない」と言っていたら、その日が水曜日だったのですが、その頃から急に肩が重くなりました。

いとこの兄は、いい人だけど私が頻繁に遊びに行けば、近所から変な噂がたったら悪いなあって思って、同性だったらどんなにいいだろうって思いました。

土曜日の日に、急用があっていとこの家に行く事になり、急用をすませて、いとこの家に向かったとたん、だんだんあれほど痛かった肩が少しずつラクになっていきました。

おばさんのところに、ささやかなお花を持って、お線香をあげて、いとこと私の母親と私の3人で、おばさんの思い出話になったころには、肩が痛かったことすら忘れていました。

ふと、肩が痛かったこと、その痛みが頭痛になり頭が割れそうにまでなったことなどを話すと、いとこは「それ、お母さんだよ。」って言いました。

やっぱりそうだったんですね。。

どうやら、おばさんに呼ばれていたようです。

亡くなってから一週間後が初七日なのに、お葬式から一週間後という風に勘違いしていて、土曜日に、「今から初七日のお線香あげさせてもらいに行くね!!」って電話したら、「あれ?水曜日だよ〜」って言われて、肩の重みが水曜からはじまっていた事に気がついたのでした。

むずかしいことは分からないけど、たぶん、おばさんは魂は亡くならないと言う事と、おばさんがいなくてもいつでも遊びに来ていいって言っているんだと思いました。

それと、おばさんの夫というのが、私の母親の兄になり、若くして亡くなっていて、その遺影が顔がけわしいからという理由で飾るのをやめ、長い間しまわれていたそうなんですが、最近おばさんの写真をみつけるためにあちこち探していたら、おじさんの写真を見てしまい、「以前より、顔がおだやかになっていたよ。」って、いとこがいいました。

私も写真というものは、不思議なものだと長い間思っていました。

亡くなっても、写真には亡くなった人の魂というか、連絡ツールみたいな何かがあるように感じていました。

いとこだから、同じように感じるのかもしれませんけど。。。


それと、お葬式の時に聞いた話ですが、私のいとこの姉が「お葬式には着物をきてほしい」と言われていて、亡くなった後に帯留めをさがしていたそうなんです。

それで、ある箱を持ったらおばさんの声で、「それだ〜!!」って聞えたそうなんです。

これはいとこ全員が聞いていて、もうびっくりしちゃった〜と言っていました。

49日までは、生と死の境目にいるって聞きますから、こういう事もあるんでしょうね。

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